top of page

命の先に act.2

kolokolさん作『切望違えし颯と灰羽‐EX1/1EX1/2』とリンクしております。こちらも合わせてどうぞ。

「過去のデータは……」
そう呟いて、シルファナ=レイスは端末に接続した。研究に必要なデータをまとめ、ある程度の推測を立てるため、過去のデータを参考にしようとしたのだ。彼女が携わるのは、人間を使った実験。さらにその被験体が友人ともなれば、あらゆるリスクを取り除かなければならない。
 人体実験など、ほめられたことでないのは分かっている。友人自身が望んだこととはいえ、実験のたびに苦しむ彼女を見るのは、シルファナにとっても耐え難い。だからこそ、少しでも負担にならないよう調整を重ねるのはシルファナの役目だ。
「そうですか……ではここはこのままでいいとして、問題は……」
満足な情報を得られたのだろう、しばらく険しい顔をして端末を見つめていたシルファナは、納得したような表情で立ち上がりかけ――――違和感を覚えた。
 
 データがところどころ抜けている。
 
 必要なデータはそろった。しかし一部のデータの根拠となる実験記録が残されていないのだ。仮にも研究施設で、不確かな情報が使われているとは考えられない。だとすれば、不備か欠損か。それならば報告しなければならない。シルファナは立ちかけた椅子に座り直した。自分が見落としているだけかもしれないし、ほかにも不備のあるデータがあるかもしれない。ひとまずデータの整理が必要だろうと考えたのだ。
 しかし。
「なんですか、これは……」
巧妙に隠されていたフォルダ、そのなかにあったのは、とある実験の記録。非道な人体実験。
 シルファナ自身、人間を使った実験を行ってはいた。しかし、あくまで被験体の安全を最優先にしていたそれとは次元が違う。被験体となる人間たちを、消耗品のように扱っては、何人もが命を落とす。そんな記録がそこには綴られていた。なかには、リスクの高さを理由にシルファナが見送った実験もあった。
 思い出したのは、初めてここへ来た時に見た子供たち。ここはメディカルセンターに併設された研究所で、かれらは患者だと、そう聞かされていたが――――この記録を見るに、おそらくは彼らこそ被験体にされた子供なのだろうと想像がついた。そして、シルファナがここに連れてこられたもともとの理由も、また――――。
「……見てしまいましたか」
突如うしろからかけられた声に、シルファナは肩を跳ねさせる。この研究室の所長にして、シルファナをここに連れてきた張本人、アラム=セルヴィッチ。
「これは、どういうことですか。誰がこんなことを」
「誰、と言われましても。貴女以外の全員と答えるしかありませんね。ここはそういう場所ですから」
かたい声と表情のシルファナとは対照的に、あくまで柔らかく、穏やかに、当然のように答える。それが、許せない。
「どうして。アークスの助けになるからと、ダーカー因子に侵された生き物を助けられるからと。そのための研究ではなかったのですか。私はそう信じていたからこそ、ここまで……!」
「黙りなさい」
シルファナの必死の訴えにかけられたのは、冷たい言葉と視線。息を呑んだ彼女に、アラムは畳みかける。
「貴女の知る知らないに関わらず、貴女がこの実験に携わったのは動かしがたい事実。であれば、貴女の選択肢は3つしかない」
「3つ……?」
「ええ。1つ目、事実として受け止めて、改めて自分の意志で研究を行う」
「……」
「2つ目、全て見なかったことにして、なにも知らないように今まで通り研究を続ける」
なにも言わない――――言えないシルファナに、アラムは優しく語りかける。
「私としては、このどちらかをおすすめします。最初は辛いかもしれませんが、お互いにとってこれが一番ですよ」
「……できません」
小さく、呟く。
「できません。こんなことを知ってしまった以上、もう私、研究なんて……!」
ガタガタと震えながら、小さな声で、それでも叫ぶように。泣きそうになりながら、はっきりと拒絶の言葉を口にした。
「我々にとって、あなたは大変優秀で貴重な研究員です。失いたくはないという気持ち、分かってもらえませんか?」
「それでも、私は、もう……」
なんとか説得しようとするが、シルファナは怯えたように目を伏せ震えたまま。所長はため息を吐いて、片手を上げた。
「これしかないとは残念です――――ザック」
「おう、やっとかァ」
現れたのは、褐色の肌に白い髪の青年。ザックと呼ばれた彼は、目を丸くするシルファナに向かってにやりと笑った。
「3つ目。……シルファナ=レイスを反逆者として処分する。ザック、速やかに殺しなさい」
「速やかに、とはいかねえけどよォ。なんたって久しぶりのオモチャだしなァァァ!!!」
その異常な目つきに恐怖を感じシルファナが後ずさると、それを見咎めたのか青年は彼女の髪を掴み引き寄せ、腹に拳を叩き込んだ。けほ、とせき込んで崩れ落ちたシルファナを、引きずるようにして抱える。
「……遊ぶのは構いませんが、『処理室』以外を汚さないよう。ここは研究所ですので」
「あァ、わかってらァ」
シルファナを引きずりながら適当な返事を返す青年を見送って、アラムは小さく何事かを呟いた。

 どん、と突き飛ばすようにしてシルファナを部屋に入れると、青年は慣れた手つきでロックをかけた。腹部の痛みに耐えながら起き上がり、青年を見上げながら問う。
「ザックさん……とおっしゃいましたか? 貴方は一体……、っ!?」
「気安く愛称で呼んでんじゃねェよ!」
やっとのことで起き上がったシルファナの肩を蹴り飛ばす。簡単に転がったシルファナの、今度は脇腹を踏みつけると、痛みと苦しみとに呻く彼女を見下ろして高らかに笑った。
「はははははッ、いい顔だなあオイ!」
逃れようともがくと、あっさりと解放された。恐る恐る見上げると、満足そうに笑う紫の瞳と目が合った。
「俺はアイザックだ。テメェにザックなんて呼ばれる筋合いはねェ。それより見てみろよこの部屋」
言われるがままに見渡して、シルファナは息を呑む。――――その、あまりに血に濡れた光景に。
「なんで、こんな……」
ここは研究室。基本的には、真っ白に、清潔に保たれている。それがどうだ、この部屋は。壁にも床にも赤い血が飛び散って、酸化して黒い染みになっている。部屋中を染め上げるようなこれは、ひとりやふたりの量ではない。
「ここは『処理室』だぜ? テメェ、アラムのお気に入りだろ。なにが処理されてたかくらい分かるよなァ?」
分かる。分かってしまう。暴走を始めた失敗作、あるいは、連れてきたはいいが実験には使えなかった人間。そんな者たちを、ここで。そして恐らくは――――。
「で、ここに入れられたってことは、自分がどうなるかも想像がつくだろ?」
シルファナのような、研究室を辞めようとした研究者たちも。
「いや……、嫌っ!」
死ぬのは怖い。死ぬのは嫌だ。その思いで弾かれたように立ち上がるも、アイザックは素早く双機銃を抜き無慈悲に銃弾を浴びせる。しかしそのどれもが掠めただけ。ともかく逃げるため走り出そうとして、はたと気づいた。
 どこに逃げるのだ……?
扉はひとつしかなく、それはアイザックの後ろ。しかもロックがかけられている。それに、仮に出られたとしても、あの人体実験が研究室ぐるみで行われていたなら助けは求められない。ロックを解除してこの部屋から出ることも難しいのに、さらにそこからこの研究室を脱出することなど不可能だ。けれどこのままでは、確実に殺されてしまう。
「オラオラ! 逃げろよ、殺されてェのか!?」
動きを止めたシルファナに、容赦なくアイザックの銃弾が降り注ぐ。打てる手もないまま、シルファナはとにかく部屋の中を逃げ回った。逃げ切れるわけがないことは分かっている。時間が経てばそれだけ、シルファナの体に傷が増えていく。それでも、動けないほどの傷はない。当てられないのではなく当てていないのだということには、すぐに気が付いた。
「やめて、ください……なんでこんな」
息を切らせながら、シルファナはアイザックを見上げた。その瞳は恐怖に染まっており、それが一層、アイザックの嗜虐心を煽る。
「あ、あああああああ!!!!!」
ついに銃弾が、その身を貫く。掠めただけのそれとは段違いの痛みに、撃たれた肩を押さえて悲鳴をあげた。そのままよろよろと後ずさって、すぐに壁に行き当たる。ガタガタと震えているだけのシルファナを、アイザックが持つ冷たい鉄の目が見つめた。
 その時に。
「いやあああああああああああ!!!」
「なっ……あ、ガッ」
空間が歪み、捻じれ、爆発する。空間ごと部屋を捻じ曲げて、アイザックをも吹き飛ばす。
 それは、失っていたはずの力。かつてシルファナが自分の親の命を奪った、あの忌まわしき力。我に返って、どうして、とひとり呟く。ここにやってきてから研究者となるまでの3年の間に、うまく抑え込めるようになっていたはずなのに、どうしてそれが今更。
「あ……アイザック、さん?」
そっと、声をかける。吹き飛ばされて壁に叩きつけられたらしい彼は、少し呼びかけたくらいでは目を覚まさない。気絶しているだけ、ならいいのだが。
「私、まさか、また……!」
フラッシュバックしたのは、あの日の光景。ぐちゃぐちゃになった我が家とそこに倒れる男女――――シルファナの両親。足が竦んで動けない。また同じ罪を犯したのかと、そんな恐怖が心を蝕む。
 ふと、ひしゃげたドアが目に留まる。ロックはかけられていたものの、大きな亀裂ができている。逃げるなら、これが最大で最後のチャンス。おそらくこの部屋で起きたことは外にも知れている。誰かが来るのも時間の問題。それまでに離れられれば、もしかしたら。
 倒れたアイザックから目を背けて、シルファナはそっと亀裂をくぐった。なるべく人に見つからないように、施設を駆け抜ける。とても、騒がしい。空間の歪みにはすぐに気付かれただろう。アイザックは手当でもされただろうか。自分も死にたくはないが、誰かを傷つけたくもない。それを甘さというのだろうけれど。
 自分が引き起こした歪みは想像以上に広範囲に広がっていたらしく、あちこちの壁が崩れ柱が曲がっていた。そんな施設をなんとか脱出し、あてもないままとにかく離れようとする。
 浮上施設。海の上に作られているこの場所がアークスの間ではそう呼ばれていることを、彼女は知識のうえで知っていた。
 突然響いたのは、爆音。振り返り、しばし呆然と見つめる。あの歪みで実験器具が壊れ、それが爆発を引き起こしたのだろうか。あるいは薬品でも割れたのだろうか。そんなことを考えて、ある事に気付く。
「私、なんてことを……」
あろうことか、友人を置いてきてしまった。彼女だけは、彼女だけでも、ここから無事に連れ出さなければ。迷うことなくさっき出てきたばかりの施設へ引き返そうとする。けれど。
「テメェ……」
「……!」
怒気をはらんだ声とともに現れたのは、アイザック。今度ばかりはすぐさま引き金を引き心臓を狙う。その銃弾は、しかし、シルファナに届く前になにかに弾かれた。シルファナのあの力は、物体ではなく空間そのものを捻じ曲げるもの。銃弾などというものが、まっすぐに届くはずがない。
 恐怖は意志を上塗りし、シルファナを走らせる。その背中を追うアイザックの銃弾は右へ左へ逸れていき、いつまでも捉えられない。あまりに相性が悪いと、アイザックは直接仕留めるのを諦め、彼女の足元を狙った。それはシルファナを徐々に追い詰め、思惑通り――――。
「あ……」

 ――――シルファナは足を踏み外し、背後の海面へと落下した。

bottom of page